4月30日の上毛新聞に載ってしまった・・
平成最後のウォーキング大会「第19回 藤岡市ふじウォーク」に参加をして来ました。
藤岡市は、市制施工60周年との事、本大会も記念行事の一環でおおくの参加者が集っていました。
参加コースは、Aコースの20Km 世界遺産 高山社跡コース 自由歩行 一部団体歩行
会場の中央公園~総合学習センター~市立西中学校~秋葉神社~平井城址~鮎川湖~世界遺産 高山社跡~総合運動公園~竜田寺~さくら山展望台~ふじの咲く丘~中央公園
主催・来賓の挨拶に続き、群馬県立藤岡中央高等学校和太鼓部の太鼓がなり響く中を出発です。
今日の天候は曇天、時折薄日が射し、絶好のウォーキング日和です。
藤岡市内、アチラコチラにふじの花が咲きだし、ほのかに甘く漂う香りが心地良いです。
コンデションも良く。
4時間16分15秒 20.06Km 完歩しました。
養蚕改良高山社は、高山村(現群馬県藤岡市高山)の養蚕業者高山長五郎が1884年(明治17年)に設立した養蚕業の研究・教育機関である。
高山長五郎は長年にわたり養蚕技術の研究を重ねており、前身となる高山組の発足は1873年(明治6年)のことであった。
高山社は巡回教師の派遣と蚕業学校の展開によって、長五郎が確立した養蚕技法「清温育」(せいおんいく)の普及に大きく貢献した。
清温育をはじめとする、温暖育に由来する技法と、清涼育に由来する技法を組み合わせた「折衷育」は明治中期以降の標準的な養蚕技術であり、その普及の一翼を担った。
高山社は1887年(明治20年)に本部を当時の藤岡町に移転したが、それまで本部となっていたのが長五郎の住宅であり、そこが養蚕技術の研究や伝習の場にもなっていた。
その旧宅は高山社跡(たかやましゃあと)として国の史跡に指定されており、世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成資産となっている。
高山長五郎は長年にわたり養蚕技術の研究を重ねており、前身となる高山組の発足は1873年(明治6年)のことであった。
高山社は巡回教師の派遣と蚕業学校の展開によって、長五郎が確立した養蚕技法「清温育」(せいおんいく)の普及に大きく貢献した。
清温育をはじめとする、温暖育に由来する技法と、清涼育に由来する技法を組み合わせた「折衷育」は明治中期以降の標準的な養蚕技術であり、その普及の一翼を担った。
高山社は1887年(明治20年)に本部を当時の藤岡町に移転したが、それまで本部となっていたのが長五郎の住宅であり、そこが養蚕技術の研究や伝習の場にもなっていた。
その旧宅は高山社跡(たかやましゃあと)として国の史跡に指定されており、世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成資産となっている。